『ADHD』という人生⑤-「仕事」と「適性」

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 今回は、社会人となった私の体験談を述べる。

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晴れて社会人に

 大学を無事卒業した後、私は地元のとある小さな団体の事務職に就くことになる。主にデスクワークだが、規模の小さい事務所だったので、一人一人があらゆる仕事をこなさなければ回らないような環境だった。

ほかに何人か新人の同期職員がいて、皆それぞれ同じフロアの別の部署に配属された。

仕事を覚えるまではやはり大変だった。先輩職員とは比ぶべくもないほど仕事が遅く、ミスが多かった。もちろん、新人が仕事に慣れるまではそんなことは当たり前で、誰もが通る道だ。それは私も理解していたし、上司もその点は大目に見てくれていた。

しかし、当時の同期職員と比べると、簡単なタイプミスや数字の誤りが若干目立っていた気もする。しかし、その点についてはそれほど悲観的ではなかった。そういったミスも、2年、3年と勤め上げていけば、慣れで減っていくと考えていたのである。

歯車が狂い始める

 しかし、1年経ち、2年経ってもミスは一向に減らない。他の同期職員は、月日を重ねるごとに、仕事の精度とスピードが向上していくのに対し、私は何度も何度も見直しても、必ず書類の決裁時にミスを指摘される。おまけに、一つの文書を作り上げるのに相当な時間を要していた。一番へこむのが、会議の際に、必ず自分が作成した資料に誤りが見つかることだった。

なのでその修正や仕事の遅れをカバーするために、定時を過ぎた帰宅が増えていった。その状態は、「残業」というより「居残り」という表現をした方が適当で、その時間は肩身が狭かった。そして徐々に上司や先輩職員も、「なんで残るの?」といった当然の疑問をぶつけてくるようになる。

ミスが多いのも、仕事が遅いのも、すでに理由はわかっていた。「うわの空」だ。

ある作業をしていても、別のやらなければならないことが気になって目の前の作業に専念できない。頭の中では、まず何から処理をすべきかの計画はあった。しかし、気づけば今やるべき作業の手を止め、ふと頭に浮かんだ別の作業に取り掛かってしまっている。

他の資料や文書を参考に作業する場面でそれを繰り返すと、デスクの上が大量の書類で山のようになっていく。仕事量が多かったわけでもないのに、いつも私のデスクだけがぐちゃぐちゃだった。

その上、頻繁に電話がかかってくる。その度に、細くて脆い私の集中力はすぐにぶった切られ、思考は目の前の作業から離れて宙を舞う。他に電話をとる職員がいない場合は、私が電話に出て、他の職員へ取次ぎし、不在時には伝言のメモを書き残さなければならない。来客があれば、その応対もしなければならない。

それらを済まして席へ戻ると、今やっていた作業に取り組めるようになるまで、私の脳はかなりの時間を要した。

そんな風に仕事をしているもんだから、効率が悪く、単純なタイプミスや見落としが多くなっていったのだ。

できないことが増えてゆく

 仕事をすれば、大量の文書や資料が完成することになる。それらの書類はまさに仕事の成果だが、その成果をきちんと整理して保管する必要がある。

しかし私はその整理が全くできなかった。無意識のうちに書類をどこかへ置いたり、しまい込んだりする。

上司から突然、「あの書類見せてくれ」と言われても、すぐに出てこない。自分でしまったくせに、どこにあるのか把握していない。その度、周囲から苦笑いされていた。

できなかったのはそれだけではない。自分の所属する部署外から頼み事をされたり、外部から、電話やメールで「~までに~をお願いします」と、普段の業務とは異なる仕事を依頼されることがある。事務職などの仕事でなくても、多くの労働者が経験するはずだ。しかし、私はそうした依頼をかなりの頻度で失念していた。

覚えていないことはないのだが、「あれ終わった?」と柔らかな口調と笑わない目で訊ねられたり、外部からの催促の連絡があった際に初めて思い出す。時にそれが結構重要なことだったりもした。なので部署内で大騒ぎになることもあった。

当然、周囲に迷惑がかかればへこむ。なので次から気を付けようと心がける。依頼された際にメモを取ったり、できる限り、そうした咄嗟の依頼を優先して処理しようとしたりして、その対処を試みた。

しかし、文書の管理もままならず、机の上もぐちゃぐちゃなので、メモすら一瞬で紛失する。優先して先に処理しようとしても、別の仕事が気になり、気づけば優先事項ではなくなっている。

いつまでたっても、どんなに気を付けているつもりでも、私のうっかり性は治らなかった。

外へ出て何人かで出張する際は、一番若い職員が車の運転をすることになる。どの業界でも、これは大抵同じだと思う。私も、その運転を任されることが、初めのうちは多かった。

しかし、そこで大きな問題が生じる。

別の記事(③)でも述べたように、私は道が全く分からない。事務所の車にはカーナビがついていなかった。なので、地元の人間なのに、地元の人間じゃない先輩職員や上司にいちいちナビをしてもらわないと、目的地までたどり着けなかった。長い道のりともなれば、上司や先輩職員に運転してもらった。

私は、相当変な奴と思われたに違いない。彼らが今まで出会った、どんな方向音痴の人よりも、目的地から「遠い」人間だったはずだ。

その結果、私は徐々に遠出の仕事を依頼されなくなっていった。

マルチタスク

 4年目になると、仕事量が一気に増えた。2つの新規事業が、私の担当業務内で始まることになったのだ。当然、新規事業なので、誰もその業務のことはわからない。どうやるかを私が模索しながら進めていくしかなかった。

しかし、肝心の人員は増えなかった。部署内も、多くの職員が人事異動で入れ替わったため、頼るどころか頼られることが多かった。おまけに、中心的な役割を果たしていた中堅職員が異動し、フルタイムで働かない年配の再雇用職員がその担当に就いたため、私の所属部署は実質人員減となってしまった。

なので精神的にかなりきつかった。新規事業のことで頭が一杯なのに、そんな状況をサポートしてくれる人は皆無と言わざるを得ない。そして、新規事業以外の業務は、後先のことが気になって仕方がない、私の生来の性格により、ほぼずっとうわの空状態でこなしていた。

その上、事務所内の細かいことを誰もやろうとしてくれない。なんとなく、一番下っ端の私が、それらを担うことになった。昼の出前注文、出勤簿のとりまとめ、ごみ出し、カートリッジ交換、蛍光灯の交換、ゴム印や文房具の注文・・・。

私はありとあらゆることを同時進行でこなさなければならなくなった。いわゆるマルチタスクと言われる状態だ。一般的に見ても、それが苦手という人は多いだろう。ADHDの私は、その何倍も苦手だ。ただでさえ「うわの空」と格闘しなければならないのに、それに加えて複数の作業を、計画的に、かつ優先順位を決めて、おまけに周囲と綿密にコミュニケーションをとりながら進めなければならない。苦手なことのオンパレードだ。

その結果、ただでさえ効率が悪く、ミスの多い私の仕事は、完全にパンクした。それは、今まで自身の障害を隠しながらも、何とかやり過ごしてきた様々な経験が、社会では全く通用しないということを意味していた。

そしてパンクしたのは仕事だけではない。私の心身も崩壊寸前まで追い込まれていた。

その時期になると、長いこと息を潜めていた身体的異常が現れていた。

夜、全く眠れない。ベッドの中でも仕事のことが頭から離れず、暴走する思考は私の睡眠を邪魔し続けた。少し眠れたとしても、歯医者に行った際「歯ぎしりでもう歯がボロボロです」と言われるような状態だ。

夜中、原因不明の激しい腹痛と吐き気によって倒れ、救急車で運ばれたこともあった。

制御不能な私の思考は、再び私に猛威をふるったのだ。

仕事とADHD

 「事務」という仕事は、ADHDを抱える人間には、最も向いていない職種の一つといえるだろう。ネットでもそうした意見をよく目にする。

しかし、私は自身の障害を軽く見たせいで、その職についてしまった。もちろん、可能であればそれは私も避けたかった。しかし、安定性や就職のしやすさなどを総合的に考えて、今の仕事を選んだのだ。

その結果、パンクしてしまった。完全に判断を誤ったのだ。

 「事務」の基本は、「当たり前のことを当たり前にやる」ことだ。データの入力、書類の管理・保管、電話連絡、スケジュールの管理・・・。そしてその上で、様々なトラブルに対処するスキルや経験を身につけ、皆、苦労を味わいながらも成長し、職務を全うしてゆくのだ。

しかし、ADHDを抱える人間は、「当たり前のこと」がとにかく不得意だ。基本的なことができないのである。

なので、その先にある、トラブルへの対処法や臨機応変な仕事のやり方を身につけるまでに発展しない。少なくとも、一人前の事務員になることはほぼ不可能だろう。

したがって、障害を持つ人と一般の人とでは、苦労する次元が全く異なるということになる。その結果、いつまでたってもスキルが上がらず、徐々にレベルアップしてゆく仕事を処理しきれなくなってしまう。そして多くの場合、続けられなくなるのだ。

なので、「当たり前のことを当たり前にやる」ことを基本とする仕事の多くは、ADHDの人にはかなりの困難を伴うと考えるべきだ。失敗してる私が言うのもなんだが。

ADHDの「本当の処方箋」

 人間は、「今」の現実に対処しようとするとき、必ず「過去」を振り返る。

自身の過去を参考にしながら「未来」を見通し、その未来を見据えて「今」の現実を生きている。なのでその人の過去がどうであったかが、未来へ向けた「今」の行動や判断に大きな影響を及ぼす。

「ADHDという人生」は、本当に失敗にまみれている。「世間からすると当たり前」のことができない上に、「努力する才能」もないからだ。なのでADHDの人は、自らの未来に対して自信がない

そういった人たちに対し、「やりたいことをやれ」とか、「自由に好きなことをしなさい」という言葉を投げかけるのは逆効果の可能性が高い。なぜなら、未来のことを考える上で、必ず参考にするのは、失敗にまみれた自身の過去の人生だからだ。

その結果、その人は未来に対し消極的になる。私もそうした消極的な姿勢で、仕事に対しては「安定性」を求めた。解雇のリスクが低く、収入も安定しているのなら、ADHDでもなんとか食っていけるだろうという算段だった。

しかし、本当に必要なのは、障害の意味をしっかりと諭し、その人にできる可能性があるのは何か、できないのは何なのかをきちんと理解させることだろう。昔から、ネットだろうが医療機関であろうが、ADHDの適性に関する情報は多い。だからそれらを大いに参考にすべきだ。

つまり、その人の人生を考える上で最も重要なのは、身の程を知る」ことなのだ。

これは決してネガティブな意味ではない。

何ができて何ができないか、その可能性を知ることにより、人は、今までの人生でやってこなかったこと、あるいは本気で取り組んでこなかったことに対して初めてスポットライトを当てるようになる。そちらへ目を向けさせることが、何よりの処方箋なのだ。

はっきり言って、事務やその他一般的な職業では、ADHDの人は使い物にならない。その仕事に就けたとしても、私のように、いずれパンクし処理しきれなくなるだろう。

そもそもそんな人間、周囲からすれば迷惑千万だ。一般の人だって必死になって社会の中で戦っている。そんな中にいつまでたっても成長しない人間が入ってきたら、足手まといとまではいわないが、戦力として扱いようのない人間に大きなコストをかけることになってしまう。

そんな状態では、誰も幸せにならないし、働く「意味」がないではないか。

私の持つ「後先が気になって仕方がない」という性分も、時として長所となりうる。しかしそれは、自らの「今」を犠牲にした上での長所にしか過ぎない。「今、この瞬間」を生きなければ、人は死んだも同然だ。

自らが費やす苦労と、社会でどの歯車を担うのかが適合した瞬間、初めて、生きる為に必要なだけの自尊心を持てるようになる。社会の一員として、その「瞬間」を実感できている人間だけが、「社会人」と呼ぶに値するのだと私は思う。

私も今は何とか前を向けそうだ。周りの意見など聞く気はない。私が何者かを知らない人間の話など、聞くに値しない。

とりあえず、今はそれでいいとなんとなく思う、今日この頃である。

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