資本主義って何だ!?(3)~『富』はどこからやってくるのか~

記事一覧

 よく、日本経済が停滞している現状を憂うような話になると、「日本はもっと海外市場を取りに行け!」と声高に叫ぶ論調を見聞きすることがある。確かに、貿易黒字もGDPのうちに含まれるわけだから、海外市場も関係はあるだろう。

しかし、ちょっと待ってほしい。ではその「海外市場」の需要はどこから来たのか

日本の輸出品の主な最終消費地はアメリカだ。しかしアメリカという国の経済が、神の御加護で創造された天からの無限の需要で成り立っているわけではないはずだ。そのアメリカだって、どこかの国に輸出したり、海外での利益をあげたりしている。ということは、アメリカ国内の需要も、そうした利益がもとになっていると考えることができる。ではその「利益」はどこからやってきたのか

それら需要や利益は、いずれも「お金」を伴う富である。そして少なくとも、それらは確実に増え続けている。なぜなら、今こうしている間にも、世界経済は(少なくとも数字上では)成長し続けているからだ。ではそれらはいったい世界のどこからやってくるのか。元をたどるときりがない上に、中々答えが見つからない。

たぶん、本当のところを理解している人は少ない。しかし、それが一番の落とし穴だ。資本主義って何だ!?(1)でも述べた通り、そうしたみんながモヤッと理解している物事の隙をつくようにして、デマが流布する

今回は、そうした経済の素朴な疑問について考えてゆく。

スポンサーリンク

GDPギャップ(前回のおさらい)

 少し、前回の内容を振り返ってみたい(わかりづらい方は前回「資本主義って何だ!?(2)」を是非ご一読していただきたい)。

そもそもGDPとは、その国や地域で、生産されたモノやサービスがどれほどお金で取引されたのかについての統計だ。そして、実際にいくら取引されたのかの統計を名目GDPと呼び、そこから物価変動を考慮した概念を実質GDPと呼ぶ。

他方、その国や地域のすべての労働力、インフラ、設備、システムなどをフル稼働させた際に生産しうるGDPを潜在GDPと呼ぶ。そしてそれら実質GDPと潜在GDPとの間には、常に差が生じていて、実体経済には、失業や稼働していない設備等が存在している。つまり、生産の余力が存在している。

実は、この余力のことを「GDPギャップ」と呼ぶ。

そしてこのGDPギャップが縮小(実質GDPが潜在GDPに接近)すると、以下の現象が起こる。

●実質GDPが潜在GDPに接近(GDPギャップが縮小)

 ↓

「量」に対する需要増を食い止めるため、価格を上げる⇒インフレ名目GDPの成長

「量」の需要増に対応するため、人手を増やす⇒人手不足の発生賃金水準の上昇

機械化や工場の新設などで生産量を上げる⇒生産能力の増強潜在GDPの成長

以上①~③が経済全体では同時に発生する。なので、経済成長はGDPギャップの縮小により起こり続ける。そしてGDPギャップの縮小(実質GDPの増大)は、個別の商品などに対する需要増ではなく、経済全体の支出総額(総量)が増えなければ発生しない。なので、有効需要(お金の支出を伴う需要)が増大しなければならないことになる。

以上が、前回の大まかな内容である。そして今回はその有効需要の増大するプロセスについて述べてゆく。

前回も述べたように、有効需要とは、あくまで「お金を伴う」需要である。なので、国民一人一人の所得が多いか少ないかが大いに影響する。

ということは、まず第一に、「お金」はどこからやってくるのか、あるいはお金はどうやって増えるのかを理解する必要があるだろう。それらを理解しない限り、有効需要が増えるプロセスも理解できないことになる。

その答えの一つとして、真っ先に思い浮かぶのが「資本主義って何だ!?(1)」でも説明したように、中央銀行の通貨発行だろう。主に、国債の売買を通じて通貨量を操作している。

しかし、実際にはその中央銀行が造るお金は全体のごく一部にしか過ぎない。お金を造っているそのほとんどは、実は「普通の銀行(市中銀行という)」なのである。

「?」状態の方もいると思うので、例によってアレで詳しく説明していきたい。

資本主義の魔法

 例えば、架空の大富豪、A元康(仮称)という人物が、所得の一部をN木坂銀行(仮称)に預けたとする。その後、N木坂銀行からその資金が不動産会社に貸し出され、最終的に商業ビルが建設されるまでの流れを考えてみたい(全てフィクションです)。

その流れを示したのが次の図だ。わかりやすくするために、利子や手数料などは一切考えないものとする。

このように、預けられた所得の一部が、ビルの建設資金として銀行を経由して貸し出され、最終的にまた銀行に預けられたとする。

では、ここで質問。の時点で、預金はいくら存在すると考えられるか。

「10億円」

だと思った方は不正解である。なぜなら、①と⑤で2回10億円が預けられているからだ。

「いや、違うだろ」

と思われた方もいるだろう。

しかし、この2行の預金総額は、①の乃木坂銀行に預けられた秋元康の口座の10億円と、⑤の欅坂銀行に預けられた建設会社の口座の10億円を合わせて、20億円である。つまり、①で10億円しかなかったものが、お金が貸し出されるプロセスを経ることによって、いつの間にか20億円に増えているのだ。

ちょっと言ってる意味が分からないんですけど

と半ギレ状態の方もいるかもしれない。なので、この流れを、「銀行の手続き」に限定して考えてみたい。

『万年筆マネー』

先ほどの図と対比して、次の図を見ていただきたい。

この図で注目すべきなのが、③の手続きだ。

通常、銀行は、お金を口座から口座へと移動させる際、片方の口座を減額した上で、もう片方の口座をその分増額するという手続きを踏む。

この例の場合では、④において、乃木坂銀行は、不動産会社から建設会社に支払われる代金として、Kやき坂銀こ…もういいや欅坂銀行に10億円を振り込んでいる。そのため、同時に乃木坂銀行の不動産会社の口座は、③の段階で支払いに使われる分(10億円)減額されている。そして⑤の段階で、欅坂銀行において、建設会社の口座に10億円が増額されている。これにより、お金が移動し、不動産会社は建設会社に支払いをしたことになる。

ところがその一方、①の秋元康が預けた10億円が、②の不動産会社へ貸し出される手続きにおいては、10億円は減額されていない。当たり前だが、10億円は秋元康の口座に残ったままだ。それにもかかわらず、乃木坂銀行は②において不動産会社の口座を10億円増額(貸付)している。なので②においては、お金が移動したのではなく、事実上お金が増えたことになる

つまり、②以降の手続きでは、新たに別の銀行預金(10億円)が創造され、欅坂銀行へ流れていき、最終的に、⑤において建設会社の銀行預金(10億円)になったということだ。言い換えれば、銀行は元手となる資金ではなく、別のお金を造って融資しているということである。そしてそれが現実の銀行業務だ。なので融資とは、預金が貸し出されることではなく、貸し出されることで預金が発生するものと考えた方が現実に近いといえる。

したがって、世の中のお金を民間銀行が増やす仕組みとは、①~②のプロセス、つまり、銀行などから貸し出される借金そのものなのだ。

こうして銀行が融資を通じてお金(預金)を創造する仕組みは、かつては銀行員がペンで数字を書き込むだけの作業であったことから、通称「万年筆マネー」と呼ばれる。これを、現代風に言い換えれば「キーボードマネー」とか「テンキーマネー」ということになるかもしれない。

この万年筆マネーこそが資本主義経済における魔法とも呼べるカラクリなのである。

実は、こうした銀行の万年筆マネーの仕組みを指して、「詐欺的な行為だ!」と騒ぐ方々もいる。確かに、ここだけ断片的に見ると銀行は「無」から「有」を生み出しているように見えてしまうかもしれない。しかし、もっと視野を広げれば、市中銀行も決して「無」から「有」を生み出しているとは言えないのだ。

スポンサーリンク

『未来のお金』

 先ほどの例では、乃木坂銀行は新たなお金を創造して不動産会社に貸し付けたことになる。そしてそのお金は商業ビルの建設資金として貸し出されたものだ。何故融資したのかと言えば、その商業ビルによって、不動産会社が借金を完済できるほどの収益を将来得ることができると見込んだからに他ならない。

例えば、不動産会社が乃木坂銀行から借り入れた借金が、30年かけて分割して返済する契約になっていたとする。そしてその契約が締結された時点で、銀行は10億円の債権(お金を30年かけて請求する権利)を有したことになる。言い換えれば、30年後までの「未来のお金」を手にしたといえる。

一方、不動産会社は、融資を受けた時点で、「未来のお金」を支払う代わりに、「現在のお金」を手にしたと考えることができる。つまり、乃木坂銀行と不動産会社は、「現在のお金」と「未来のお金」の交換取引をしたことになるといえるのだ。

そしてその「未来のお金」があるからこそ、銀行は現在のお金を造り、不動産会社に渡すことができたと考えられる。したがって、融資された10億円は、ただ単に銀行が恣意的に創造したお金ではなく、むしろ不動産会社の方が「未来のお金」を造ったことで初めて創造できたと考えるべきなのだ。これを少しロマンチックな話にすると、お金が時空を超えて現在と未来に分身したと表現できる。こう言うと、「魔法」というよりむしろ「忍法」に近い気がする。

しかし、これは言い換えると、一度分身した「未来のお金」と「現在のお金」は、「未来」が時とともに「現在」となるのに従い、30年かけて少しづつその分身が解けてゆくことになる。具体的には、借金が不動産会社から少しづつ返済されるのに従い、「未来のお金」として銀行の資産に計上されていた債権が、「現在のお金」としての資産に置き換わってゆくということだ。なので借金が返済されると、その分お金は消滅する

つまり、現在我々が保有しているお金は、全てどこかの誰かが背負った借金によって造られた「未来のお金」の対価だといえるだろう。そのため、経済全体の借金残高の元金部分と、経済全体のお金の量(通貨残高あるいは通貨供給量等と呼ばれる)は必ず一致する。したがって、経済全体で借金残高を減らせば減らすほど、お金の量は減ってゆくことになってしまうのだ。なので資本主義経済においては、そもそも借金残高は増えるものという認識を持つべきだろう。

「富」はどこからやってくるか

 そうすると、銀行は「無」から「有」を生み出しているという批判は当たらないことになる。銀行はただ単純に、借金という「マイナス」によって、お金という「プラス」を生み出したにしか過ぎない。そのため、少なくとも世界経済全体では、全てプラスマイナスゼロとなり相殺されてしまう。結局、我々は「お金」という富を全く生み出していないことになるのだ。

そうなると、「我々は経済活動において何も生み出していないのか」と厭世的な気分になってしまうかもしれない。しかし、決してそんなことはない。実は、先ほどの例でもしっかりと「富」が生み出され、登場している。

それは、実は建設会社が建てた「ビル」である。先ほどの例では、このビルという資産が唯一の「富」といえるのだ。これだけは絶対にプラスマイナスゼロにはならない。世界経済全体で資産と負債をすべて相殺した結果、最後に残るのは「モノ」である。なのでこうした実物の資産が経済全体では「富」の定義に該当する。これをそのまま「実物資産」という。

そしてその中でも特に、例にあるような不動産会社が発注した商業ビルは、新たに事業を展開し収益を生み出すための、いわば「ドル箱」のような資産だ。そうした新たな付加価値の生産をもたらしたり、あるいは効率化させたりする資産を「生産資産」と呼ぶ。具体的には、インフラ、建物、機械、設備、車両、ソフトウェアなどである。そしてそれら生産資産を生み出す政府や民間の経済活動を、基本的に「設備投資」と呼ぶ。

また、生産資産の具体例を見てピンときた方もいるかもしれない。前回(2)「政府債務対GDP比と経済成長」でも説明したように、実は、生産資産はそのまま潜在GDPに含まれることになる。したがって設備投資が増えてゆくと、潜在GDPが成長してゆくのだ。

そして、こうした設備投資などにむけて投じられる資金、あるいは投じられて形成された生産資産をひっくるめて「資本」と呼ぶ。すなわち、資本主義とは、資本が投じられ(投資され)ることにより成長してゆく経済システム、あるいはそれを重視する価値観等を指していると考えていいだろう。

しかし、設備投資により潜在GDPが伸びてゆくということは、むしろGDPギャップ(実質GDPと潜在GDPの差)が拡大してしまうのではないかと考えた人もいるだろう。しかし、実はそうではない。なぜなら、設備投資はその一方で、潜在GDPの成長以上の有効需要の増大(実質GDPの成長)ももたらすと考えられるからだ。

お金の『流通速度』

 乃木坂銀行の万年筆マネーによって造られたお金は、不動産会社が発注した商業ビル建設の対価として、建設会社の所得になっている。そしてその後、建設会社の下請け業者の収入や、従業員の給与として支払われる(分配される)ことになるだろう。つまり、銀行融資によって生み出され、設備投資として投下されるお金は、新たな有効需要を生み出すことにつながる。

こうしてもたらされた建設会社や下請け事業者、従業員などに分配される所得はその後、大抵その多くが銀行預金などの貯蓄になる。そして更にその後、その貯蓄の内から、いくらかが何らかの支出に回されることになるだろう。

そうして支出に回されたお金は、また新たに誰かの所得となり、誰かの貯蓄となったのち、更に支出に回される。そしてその支出はまた誰かの所得になり…といった具合に、実体経済はグルグル回っている。なので、「所得」や「貯蓄」としてのお金は、あくまで「一時的に誰かの所有するお金となった」という現象でしかないということだ。

そして、所得や貯蓄として、お金の所有者が転々と移り変わっていくだけで、その間の支出を通じてモノやサービスがその都度生産され、新たな所得が生み出され続けることになる。したがって万年筆マネーで造られたお金が設備投資などを通じて実体経済に投下されると、経済全体では、投下された金額以上に所得が生み出されることになる。これを「乗数効果」と呼ぶ。

つまり、実体経済のお金の量(有効需要)は、万年筆マネーによって造られたお金がいかに速いスピードでその所有者を転々としてゆくのかに依存するということだ。そしてその所有者の移転と万年筆マネーによる投資が1年間にどれほど行われたのかが、1年間の名目GDP(あるいは国内総支出)と等しくなる。そしてそこから物価変動の影響を差し引いた統計が実質GDPというわけだ。見方を変えれば、潜在GDPの成長率を超えて増大してしまった有効需要が、物価上昇(インフレーション)として数字に表れると表現できる。

そしてこの乗数効果を考える上で重要なのは、各法人や各個人などが得た所得や貯蓄に対する支出額(消費や自己資金投資の額)の割合だということになる。この割合が大きければ大きいほど、お金の所有者の移転スピードが上昇し、実体経済の所得総額は増えることになる。そしてそれらに伴って有効需要はより大きくなってゆく

したがって有効需要の多寡は、万年筆マネーの創造量はもちろんのこと、実体経済において、各個人や各法人などの所得や貯蓄額と比較した支出額の割合がどれほど高いかの水準も重要になってくることになる。

では、その支出割合は何によって決まるのか。

『未来の所得』

 通常、個人や法人の支出には、意識するとしないとにかかわらず、必ず優先順位が存在する。例えば個人の場合、食費や水道光熱費、家賃、住宅や自動車のローン、子供の養育費などは優先順位が高い。一方で、趣味に興じるための支出や、旅行、外食などは優先順位が低くなる。なので、支出を削減する必要に迫られた場合、それら優先順位の低い支出項目から削られていくことになるだろう。

また、それらのモノやサービスに対して支出する際は、大抵の場合、銀行預金などの貯蓄からお金を引き出したり、預金を振り込んだりして購入することになる。これは言い換えれば、今までの所得残高から支出をしているということだ。

しかし、その所得残高は、通常、将来必要な出費をほぼ無意識のうちに差し引いて計算しているはずである。特に、住宅ローンや子供の養育費などは、優先順位の高い出費であるから、あらかじめ必要となるであろう「未来の支出」として考慮されて差し引かれ、さらにそこから毎月の食費や水道光熱費などを差し引いた残りの所得残高が、優先順位の低い支出財源としてカウントされることになる。

もし、所得残高が、それら「未来の支出」に足りていなかったとすると、その財源に充てることになるのはこれから得る「未来の所得」ということになる。

特に、現役世代(とりわけ若い世代)にとっては、収入を得ていた期間がそれ以上の世代に比べると短いため、その「未来の所得」に頼らざるを得ない場合が多くなる。なので、「未来の所得」が少ないと見込まれる場合は、優先順位の低い支出から削減する必要に迫られることになる。反対に「未来の所得」が十分に見込まれたとき、優先順位の低い支出もなされるようになってゆく。

つまり、「未来の所得」が多ければ多いほど、経済全体の所得や貯蓄に対する支出割合が上昇してゆくことになると考えられるのだ。

ただし、あまりにも「未来の所得」が少ないと判断される場合には、本来優先順位の高かった支出までも削減せざるを得ない事態(生活水準の低下)に陥るということでもある。そしてそれが法人(特に営利企業)である場合には、いわゆる「リストラ」として実体経済に猛威を振るうことになるのだ。

有効需要の無間地獄

 では、それら万年筆マネーと設備投資などをもたらす「未来のお金」や、支出割合の上昇をもたらす「未来の所得」を増やすにはどうすればよいのか。

先ほどの例でいえば、不動産会社が発注し建設したビルの事業収益の見込みが、「未来のお金」の正体である。そして建設会社が得る「未来の所得」も、元をたどればそのビルの事業収益の見込みがもたらすものであるといえるだろう。

ではその収益の見込みは何によってもたらされるのか。

もちろん、世の中のニーズがある程度見通せる場合に収益が見込まれることになるだろう。反対に、そのニーズを見通せない場合には、収益を見込むことはできない。したがって、そのビルに入居したいと考える顧客の需要がほぼ確実に存在しなければ「未来のお金」や「未来の所得」は生み出せないことになる。

しかし、その需要は、前回も述べた通り、個別の商品やサービスに対する需要では意味がないのである。それでは経済全体の需要が増大したことにならないからだ。なので、設備投資をもたらす「未来のお金」や、それによってもたらされる「未来の所得」の正体は、実は現在存在しているであろう有効需要であると考えられる。したがって、「富」をもたらす正体は、結局のところ「有効需要」であると結論付けることができる。

そして実は、ここで日本経済はドツボにはまり込んでしまっている。つまり、有効需要が停滞し、GDPギャップが拡大した結果、設備投資が伸び悩み、それによって人々の所得も伸び悩み、また有効需要が伸びずにGDPギャップが拡大して…という堂々巡りに陥っていると考えられるのだ。より端的に言えば有効需要が増えないから、有効需要が増えないということだ。

これによってもたらされる経済現象は、GDPギャップの縮小と逆の現象が起きることになる。なので、デフレーション、雇用の悪化(賃金の低下や労働時間の増加、失業、非正規雇用の増加)、企業の倒産、税収の減少、等々が発生すると考えられるのだ。

そして最悪なのは、設備投資の伸び悩みによって、将来世代へ残す国の「富」への投資が停滞しているということだ。何せその「富」は実物である。新しく造り変えてゆかなければ、どんどん劣化したり、時代遅れの生産資産と化していってしまう。すると私たちの将来世代は、私たち以上に苦しい経済環境を押し付けられることになってしまうのだ。

こうした現象は、ここ20年の日本経済に全て当てはまる。誰がどう考えても、日本経済は有効需要の停滞による無間地獄に陥っている。そしてそれらがもたらす将来に対する悲観的な見通しが、自殺者数の高止まりや出生率の低迷を同時にもたらし続けていると推測しても無理はないだろう。

したがって、このGDPギャップを有効需要を増やすことによって誰かが埋める必要があることになる。しかし、埋めようにも現在の有効需要がないのだ。なので、いくら銀行預金がたっぷりと存在していたとしても、事実上「現在のお金」と交換するための「未来のお金」は枯渇した状態にある。そして所得残高の代わりとなる「未来の所得」も頭打ち状態だ。

一体、この無間地獄からどうやったら抜け出せるのだろうか。そもそもこうなった原因は何なのか。それは、よく世間で言われるような、人口減少や競争力がなんちゃらとかいう話なのだろうか。

実は、この病気の原因はハッキリしている。そしてそれが長引いている明確な要因もちゃんとある。

次回からは、資本主義経済の実態と日本経済の異常性をもう少し詳しく分析し、この病気をもたらしている真犯人を突き止めてゆくことにする。

スポンサーリンク