アメリカ人の憂鬱~その1『医療費地獄』~

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 2016年11月、壮絶な中傷合戦の末、第45代アメリカ合衆国大統領が選出された。

彼の名は「ドナルド・ジョン・トランプ」。賛否両論の嵐が吹き荒れる中「あり得ない当選」を果たした。

彼は選挙中に「NAFTAを離脱する」「不法移民を追い出す」「メキシコとの国境に壁を造る」など、それまでのアメリカ大統領が絶対に口にすらしないであろう主張を「公約」として掲げていた。

「こんな人を大統領に選ぶなんてアメリカ人はどうしちゃったのか…」と疑問に思う日本人は多いだろう。しかしメディアにもネットにも、その答えがないのが実際のところだ。

実は、このアメリカの政治の混乱は、アメリカ社会の「非常事態」とも呼ぶべき大きな変化によるものである。むしろこうした政治の混乱は、その大変化の一端にしか過ぎない。そしてその変化は、我々日本人が想像するよりもはるか前から生じている。

では一体、アメリカで何が起こっているのか。その実態と原因に迫っていく。

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絶望の果てに・・・

 まず、アメリカ社会の異変の一端として、次のような現象が起こっている。

非営利団体コモンウェルス・ファンドの報告書によると、米国では早死にする白人中年が急増している。それによれば、45~54歳の白人の死亡率は1983年~98年まで毎年1.8%低下していたが、99年~2014年までで毎年0.6%の上昇に転じた。薬物中毒や自殺の増加がその一因に挙げられる。また、心臓病やガンなどによる死亡率低下は白人の場合停滞している。
 「ここ50年の先進国で前例のない後退だ」と執筆者は報告している。
(中略)
同論文によれば、1999年以降、薬物中毒や自殺、飲酒に関連した病気の増加が米国の白人中年の死亡率を押し上げ、中でも教育水準の低い白人層の死亡率が最も上昇。この傾向はその他の人種や先進国では顕著に見られなかった

引用:『前例のない米白人中年の死亡率上昇』,©2016 SANKEI DIGITAL INC.,2017年12月11日アクセス

 衝撃的な統計である。

こうした薬物中毒やアルコール中毒などは、一般に「絶望病」と呼ばる。自殺も含め、これらの病や死亡が増えているということは、それだけ人生に絶望した人々が増えているからだと考えられる。「その他の先進国では顕著に見られなかった」ということは、自殺率が高いといわれている日本でも、これほど悲惨なことにはなっていないということである。

したがって、1999年以降のアメリカ社会が、それほど混とんとしているということであり、過労死や過労自殺といった闇を抱える日本社会以上に混迷を極めていることがうかがえるのだ。そしてその絶望の多くが「白人」が抱える病であることも読み取れる。なので、そうした絶望が、白人支持者の多いトランプ大統領を誕生させたという見方もできるだろう。

ではなぜ、アメリカ人はここまで「絶望」しているのか。原因はいくつか考えられるのだが、そのうちから主因と考えられるものを挙げていきたい。

医療の「完全」崩壊

 これはマスメディアでもたまに話題になることだが、アメリカには日本のような国民皆保険制度が存在しない。高齢者や低所得者向けの公的医療保険は存在するが、それらがカバーする範囲も日本の公的保険と比較すれば狭い。そして公的・民間どちらの医療保険にも加入していない無保険者は、オバマ政権による医療保険制度改革以前は、4800万人以上存在していたといわれる。なので、この点を指してアメリカは「医療後進国」と揶揄されることもある。

しかし実は、アメリカの真の医療問題は「保険」ではない。この点は多くの人が勘違いしている。そしてその実態はもっとむごいのだ。

次のグラフは先進主要国のGDPに占める医療費の割合と高齢化率をそれぞれ比較したものだ。

資料:OECD加盟国の医療費の状況(2012年),厚生労働省より作成

 左軸が医療費の対GDP比率で、右軸が高齢化率(65歳以上の人口割合)である。各国の総医療費と高齢化率の関係(ともに2012年)を示したものと理解していただきたい。

通常、医療費は若い世代よりも高齢者世代の方が一人当たりでは高くなる傾向を持つ。高齢者の方が圧倒的に、癌、糖尿病、心筋梗塞、脳梗塞などの、手術や入院を伴う重病を患いやすいためだ。なので、こうした医療費の比較は高齢化率を加味して考えるのが妥当だ。

こうした比較をした際、勘違いをする人が多いのだが、この医療費対GDP比の統計はあくまで各国の総医療費を用いている。自己負担額ではない

例えば日本の場合、通常、3割が自己負担で7割が健康保険などの公的負担となることはご存じだろう。このグラフの統計はその7割の公的負担も含んだ値だ。高齢者医療などの国庫や自治体の負担も含む。したがって各国の医療保険制度がどうであるかは一切関係ない

そう考えると、アメリカの医療費が異常に高いことがよくわかるはずだ。その上、高齢化率は主要国の中で最も低い。普通に考えれば高齢化率の高い日本やドイツの医療費の割合が高くなりそうなものだが、最も「若い」はずのアメリカがダントツの№1だ。いかにアメリカ国民が医療機関にボッタくられている割高の医療費を支払っているのかがよくわかる。

そして、その上で、アメリカ社会には国民皆保険制度が存在しないのだ。そのため、こうした高額な医療費をカバーするための民間医療保険の保険料も、市場原理にゆだねれば、当然、高額なものとなる。

一方、民間の医療保険に加入できない人々や、加入していてもカバーする範囲の狭い安価な医療保険に加入している人々は、できる限り医療機関にかからずに、「我慢」を強いられているはずである。つまり、国民皆保険制度が無いために、経済全体の医療サービスの提供「量」は比較的少ないはずなのだ。しかしそれにもかかわらず、経済規模に占める「額」で見るとぶっちぎりの値を示している。

グラフで見る限り、比較的安く医療を享受していると考えられる日本人とイタリア人からしてみれば、アメリカ社会は想像を絶する世界といっていいだろう。

ではなぜ、アメリカの医療費はこんなにも高額なのか。

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医療費高騰の原因①「薬価」

 先ほどグラフで示したアメリカ以外の先進諸国は、薬の価格(薬価)を政府が統制している。特に、フランスと日本は、直接政府が価格を決定する制度を採用している。そしてその他の欧州諸国は、製薬会社などが価格決定権を有しているものの、価格の上限を政府が定めているため、事実上政府の統制のもとに薬価が決定されている。

一方、アメリカの場合、薬価についてはこれといった規制がない。薬価は製薬会社と保険会社の交渉で決定してしまう。さすがは「自由」の国である。政府の規制などしゃらくさいということなのだろう。そういうワイルドさは個人的には嫌いじゃない。

しかしそんなことを認めたら、薬の価格は暴騰する

よく、自由な競争市場では、需要と供給の均衡する点において価格が決定されるという解説が経済学者によってなされる。これは裏を返せば、そのモノやサービスの価格が下がれば下がるほど需要量が増えることを意味し、反対に価格が上がれば上がるほど、需要量が減るということになる。こうした市場における価格と需要量の関係を「需要の価格弾力性」と呼ぶ。

価格弾力性は、そのモノやサービスの性質によってそれぞれ異なる。生活必需品など人々が絶対に購入しなければならないモノやサービスは、たとえ価格が上がってもその需要量は減少しづらい。したがってそうした必需品としての性格を持つモノやサービスの場合、価格が跳ね上がりやすくなる。

では薬はどうか。

風邪薬や漢方薬など、「必需」とまでは言えない薬については需要量による価格調整は十分生じうるだろう。しかし、「それを投与しなければ死んでしまう」といった類の薬は、いわば必需中の必需だ。なのでその薬価は青天井に上昇してしまう。要は、「高くても死ぬよりマシ」という状況が生まれるということだ。

おまけに、新薬には「特許」がある。これはその薬を開発した企業などに対し、その薬の製造や販売について独占を付与しているに等しい。なので、競争原理も働きにくく、ますます薬価が跳ね上がることになってしまう。

したがって通常は、日欧のように薬価については政府が介入し、その価格を統制する必要が出てくる。しかし、アメリカにはその政府の価格統制システムがないため、それが生死にかかわるような重要な薬であればあるほど、その価格が高騰していると考えられるのだ。

そのため、アメリカの薬価は、為替レートにもよるが、専門家の間で高い高いと批判されている日本の薬価の2倍以上だと考えられる。この中で最も安いとされるイギリスの3.5倍以上だ。(ちなみに、ジェネリック医薬品の普及などで、日本の薬価も相対的に下がり続けている)

(参考:「新薬の薬価における欧州との比較」,中央社会保険医療協議会,H25.2.27)

医療費高騰の原因②「診療報酬」

 通常、病院の医療行為に関しては、政府がその価格を統制する。その仕組みは様々だが、基本的には医療行為そのものに対する費用は、政府の管理下に置かれるのが先進国では普通だ。そうした仕組みを「診療報酬制度」と呼ぶ。

なぜ政府が管理下に置かなければならないかというと、薬価のケースと同様、その医療行為を受けなければ死んでしまう場合があるからだ。なので、医療行為というサービスの価格弾力性は、薬と同様、その需要量が価格の変化の影響を受けづらいと考えられる。

おまけに、生業として医療行為が許されているのは、当然、免許を持つ医師だけだ。これはいわば、自由競争を抑制する特権のようなものである(もちろん、その特権がない人に医療行為をされても困る)。そうした特権は市場においては医療サービスを提供する新規参入者の障壁となるため、医療行為についても、市場の価格調整メカニズムは働きづらいと考えられる。そのため、医療行為にも政府の価格統制が求められるようになり、診療報酬制度が必要とされるのだ。

ところが、アメリカにはその診療報酬制度がない。全くないわけではないのだが、先ほど説明した高齢者や低所得者向けの公的保険がカバーする、ごく一部の医療行為に限られる。したがってこうした病院の医療行為に対する費用も、それが生死に関わるような重大なものであればあるほど、価格が青天井に跳ね上がっていってしまうのだ。

医療費破産

 こうした医療費の高騰と、それに伴う医療保険料の高騰の結果、アメリカではある深刻な事態が発生している。

 企業は、優秀な人材を集めるために、質のよい民間保険と契約することが求められ、その保険料が企業経営を圧迫する原因にもなっています。でも、中小零細企業は高い保険料は負担できません。たとえ加入しても安い保険だと、難癖をつけて保険会社が医療費を払ってくれないこともあるようです。
そんな現状があるため、アメリカで自己破産した人の6割以上は医療費が原因。ですが、そのうちの8割以上が民間の医療保険に加入していたというから驚きです。

引用:『アメリカの自己破産の6割は医療費が原因…。 海外旅行先の高額な医療費に気をつけよう!』,©DIAMOND,Inc.,2017年12月11日アクセス

実は、医療費と保険料の負担が大きすぎるために、それによる破産が大規模に発生しているのだ。具体的には、住宅などの資産を担保にお金を借りて、医療費や医療保険料を支払ったものの、返済できずに破産したというケースが多いと考えられる。ということはつまり、破産した人は担保を没収されるわけだから、医療費のせいで家を追い出されている人が多数存在するということになる。

要は、破産しようが家を失おうが人間は医療を受けて生き延びる方を選択するということだ。かなりむごい話である。

こんなことは国民皆保険を採用している国家であれば起こりえない現象だ。なぜなら、公的医療保険は大抵の場合「強制加入」であり、かつその人の「所得に応じて」保険料が決まる仕組みになっている。もちろん日本もそうだ。そして医療費の総額もアメリカと比較すれば圧倒的に小さい。

なので、所得の割に医療費や医療保険料の負担が大きすぎて破産までする人が続出するなんてことは、基本的にありえない話なのだ。しかし、アメリカではそれが当たり前となっている。「医療」という生命の死活問題と経済的な死活問題が直結していると表現しても差し支えないだろう。

市場の失敗

 その「経済的な死」は、破産という形で起こってしまう。

「破産」が増えるということは、経済全体からしてみれば返済の見込みがない債権、すなわち不良債権が増えるということでもある。いわゆる「サブプライムローン」と呼ばれる融資が焦げ付いてしまう現象だ。

不良債権の増加は、金融機関がその損失をカバーしようとするため、市場金利の不必要な上昇や高止まりをもたらしてしまう。そしてそれが急激に起こると、最悪の場合、金融危機が発生する。

アメリカではそれが実際に発生した。リーマン・ショックである。そしてその結果として、金融機関は政府の公的資金注入などの救済を求める事態に陥ったのだ。

こうした自由な市場における経済活動が、結果として経済全体に非効率をもたらす事象を指して、「市場の失敗」と呼ぶ。何故か経済学者(と呼ばれる人々)はアメリカの医療費高騰を「市場の失敗」として認識しようとしないのだが、これは誰がどう考えても、規制すべきものを規制しなかった結果生じた経済破綻だ。

もちろん、医療費の高騰だけに金融危機の原因を見出すのは早計だろう。しかし金融危機の一端は担ったと考えてもいいはずだ。何せ破産の6割である。そしてだからこそ、オバマ前大統領は金融危機後の政権期に「医療保険制度改革」を公約に掲げていたのだと考えられる。

しかし、それも骨抜きになって終わった

結果として実現できたのは、主に「民間医療保険に国民を強制加入させる」ということと「既往症を理由とした保険加入の拒否を禁止する」といった点だけだ。肝心の医療費には「メス」は入らなかった。つまり、現在もその市場の失敗は放置されたままなのである。

結局、アメリカは“ No, we can’t ! ”だったのだ。ご愁傷さまです。

こうしたうだつの上がらない状況に、さすがのずぼらな寛容なアメリカ人も悲鳴を上げ始めている。それが「絶望死」やトランプ大統領の「あり得ない当選」として現実に表れていると考えるべきだ。しかし、アメリカ国民の絶望はこれだけではない

次回は、そうした医療費以外のアメリカ人の「絶望」について解説してゆく。

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