『ADHD』という人生②ー動き回る「小さなヒーロー」

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 前回は、ネットや医学的見地などからあまり語られることのない、ADHDの「根本的」な症状について、ADHDを抱える私自身の見解を述べた。

ポイントとしては、ADHDの人には

「思考のスイッチがない」

ということ、そして一般の人が経験したことがないであろう

「強烈なうわの空状態」

が常に起きているということである。

今回からは、そういった根本的な症状から起きる具体例として、ADHDを抱える私自身の体験談を紹介してみたいと思う。

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見えない敵と戦っていた幼少期

 私は、とにかく幼いころから落ち着きがない。

家にいると常に歩き回っている。特に幼少期は休む間もなくウロウロ歩き回っていた。

その頃の幼い私の脳内はというと、当時テレビで放映されていた「忍者戦隊カクレンジャー」なる戦隊もののヒーローになりきって、敵を倒す妄想で埋め尽くされていた。確かケイン・コスギがブラックだった気がする。

一般の方(特に男性)でも、幼いころは、好きな戦隊もののヒーローや、アニメのキャラクターになりきって、

「デュクシ!デュクシ!とうっ!こぉれでも、喰らえぇっ!!!」

とかいって動き回りながら、一人で見えない敵と戦っていた記憶があるかもしれない。

しかし、私の場合はそれが延々と続く。というより、それしかやっていなかった。

一体、敵は何人(何匹?)いたのだろう。毎日毎日、休む間もなく、それだけで1日が終わっていた。だから、近所の友達と遊ぶこともほとんどなかった。そうしてずーっと、一人で正義のために「ウロウロ」しながら必死で戦っていた。

肝心の「忍者戦隊カクレンジャー」のテレビ放映が始まると、一応、テレビの前で観るには観ていた。

しかし、テレビが始まってからしばらくすると、観ている最中にも「ウロウロ」が始まってしまう。たぶん興奮が抑えきれなかったのだろう。だから正直、内容はあまり頭の中には入っていなかった。

幼稚園にて

 しかし、そんな私の「ウロウロ」は、家から一歩出るとピタリと止む。特に幼稚園では、他の子よりもおとなしいくらい静かだった。

何故そんなにおとなしかったかというと、むちゃくちゃ我慢していたからだ。

「先生に怒られるのが怖い」とか、「友達に見られるのが恥ずかしい」とか、そんな理由だ。幼いながら、相当人目を気にする、かなりのませガキだった。しかも、おとなしくしていれば、周りの大人から褒めてもらえる。

今となってはしょうもないガキだったと思えるが、当時の私にはそれがとても重要なことだったらしい。

しかし、我慢をしているだけなので、幼稚園は私にとって地獄だった。じっと椅子に座っているだけでもつらい。ましてや、先生の言うとおりに工作やら歌を歌ったりやらしなければならない。そういった時間はものすごく苦痛だった。でも幼いながらも必死に耐えようとしていた。

そんな調子なので、幼稚園には行きたくなかった。本当に嫌で嫌でたまらなかった。毎朝幼稚園の送迎バスが家の近所まで迎えに来る。そのバスの停車場所までの道のりは、私のおじいちゃんが送ってくれていた。

しかし、毎日私はバスに乗るのを拒絶し、泣きわめいていたそうだ。私自身はほとんど記憶にないのだが、それはそれはひどい抵抗の仕方だったらしい。そしてその「悲鳴」があまりにもかわいそうだったのか、それを見ていたおじいちゃんも泣いていたらしい。おじいちゃんごめん。

小学生時代の苦労

 そうした幼稚園生活を送っていた私には、小学校はさらなる地獄だった。何せ幼稚園よりも時間が長く、先生は厳しい。やることも歌とか工作ではなく「勉強」だ。普通の子でも苦痛に感じる場合が多いのだから、私にとっては本当に耐え難い環境だった。

そのような環境が、私に「新たな能力」をもたらした。ウロウロしないで「妄想」する技術である。暴走する思考を抑えることは絶対にできない。しかし、少しもじもじしながらではあるが、動きを止めて座ることはできた。そうして必死に耐えたのである。

もちろん、先生の話は聞いていない。聞いているときもあるが、かなり断片的だ。意識はすぐに架空の世界へと飛翔してしまう。それでも何とかやり過ごしていた。そして短い休み時間に、人のいないところを探しては、ウロウロして気を紛らわしていた。

そしてその反動からか、家に帰ると気が狂ったようにウロウロし始める。それはそれは疲れ果てるまで動き回っていた。そうした歪な生活が体を蝕んだのか、小学二年生くらいの時から、原因不明の体調不良に悩まされるようになった。

一つは「血尿」だ。しかも、「尿」と言っていいのかわからないほど真っ赤なワインのような血尿だ。そしてそうした血尿が出る少し前には、気が遠くなって倒れそうになるほどの腰の痛みが私を襲った。それが何だったのかいまだに不明だが、今はその症状も収まっているので迷宮入りとなっている。

そしてもう一つが「腹痛」だ。特に何か悪いものでも食べたというわけではないのに、かなり頻繁におなかを下した。そして食欲もなかった。家に帰れば結構食べるのだが、給食の時間はほとんど食事がのどを通らなかった。でも食べないと変に思われてしまうので、無理して食べた。すると、その後の授業では、寒気を伴った嫌な便意を催すことが多かった。

すこぶる調子が悪い時には、便ではない、透明なゼリー状のよくわからない何かがパンツにくっついていたりもした。それも何だったのかは不明だが、今はそうした症状はないのでそれも迷宮入りだ。

こうして身体的な異常を伴いながらも、何とか「健常者」としてふるまうことに成功する。

勉強はできちゃった

 そして私はもう一つの能力を身に着ける。

それは、「先生の話を真摯に聞く演技」だ。先生の目をよく見て、なんとなく、話す文言に句点がついたなと思う度、「うんうん」とうわの空で無言の相槌を打っていた。しかし頭の中では、昨日観たテレビ番組のことや、将来自分が有名人になっている妄想、あるいは次の嫌いな先生の授業のことなどを思い浮かべていた。

もちろん本当は先生の話など聞いていない。しかし、断片的に情報は頭の中へ入ってくる。なので、なんとなく何を話しているのかは理解できていた。教科書に書いてある内容も、きちんとは読んでない(というか読む集中力がない)のだが、それでも断片的に読み解き(図とか太字の言葉とかを見て)、何とか授業についていけた。

そして家に帰ればお決まりのウロウロタイムが始まる。小学生にもなると、私の頭の中は、将来漫画家になって大活躍している妄想とかで占拠されていたと記憶している。なので宿題もやらないし、ましてや塾なんか行ってない(というか行けない)。それでも、自慢じゃないが(自慢だけど)テストの点数はかなり良かった。100点満点をとることもしばしばだった。やってない宿題は、朝早く登校して、同じく朝早くから登校している友達に見せてもらって、書き写して難を逃れた。

最も大変だったのは板書の書き写しだ。ノートに書き写す前にチョークの文字が消されてしまう。いつも私だけが書き終わってない。なのでどうしても書き写しておかなければならない箇所は、放課後、まだ残って遊んでる友達にお願いしたり、仲の良かった友人の家に(無理矢理)遊びに行ったりして、ノートを見せてもらった。

そうした涙ぐましい(?)努力をしていても、ピンチに陥ることがあった。

授業中、先生から

「今からこれをやってください」

といってプリントが配られたり、

「~についてグループになって話し合って、後で発表してもらいます」

という指示が出た時だ。

何せ話は聞いていない。

いきなりプリントが配られたり、突然みんなが動き始めたりするので「何事か?」と焦る。しかしそこで「今何やれって言ってた?」と友達に聞いてしまうと、それを耳にした先生に、うわの空の相槌がばれてしまう。

そういう時は周りの友達の行動をこっそり、かつ必死に観察し、参考にして事なきを得た。

そうした私の特殊能力は、学年が上がるにつれ、スキルアップしていった。

ところが、そうした私の能力が功を奏して(あるいは災いして)、思わぬ展開をもたらすことになる。

次回は、私に訪れる意外な展開とそれに伴う苦悩、そして中学生以降の話について述べさせていただく。

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