『ADHD』という人生④ー「時間感覚」と「ごみ屋敷」

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 前回③に引き続き、私の体験談を述べる。今回は「青春期」だ。

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高校受験

 ADHDの私にとって、「試験勉強」は困難を極める。

自宅で勉強するのは定期テストの前日に一夜漬けをするくらいだ。しかもその時だって集中力は持続せず、途中でボーっとしたり、ウロウロしたりして、ほとんど時間を無駄にした状態で勉強している。宿題もまともにやることはほとんどないし、授業中だってうわの空だ。

それでも、中学時代の定期テストでは中々の成績を維持していた。自慢じゃないが(自慢だけど)学年でも毎回1ケタ台の順位だった。3年次の学力テストでは、「学力検査」ということでみんなテスト勉強をしなかったせいか、私が学年1位だった。

私は「勉強せずにテストでいい点数を取る」という能力に長けていた。ぶっちゃけてしまうと、地頭には自信がある。その点、親や先祖に感謝すべきだと思っている。

しかし、受験勉強、ましてや高校入試や大学入試ともなると、その地頭の良さもほとんど意味をなさない。私の経験上断言できるのは、地頭がよくても、あるいは才能があったとしても、

「本気で努力し続けた奴には勝てない」ということだ。

入学試験は競争である。「テストの点数」という純粋な競争原理が働く場面では、努力で実力を手にした奴はむちゃくちゃ強い。本当に勝てる気がしない。世の中には、ほとんど勉強をせずに東大に合格したりする人もいるらしいが、そういう正真正銘の天才は置いておくとして、基本的には生まれ持った才能の有無ではなく、いかに努力をしたかでその勝敗が決まるのだ。

結局、私は志望校の受験に失敗した。地元で最も偏差値が高く、歴史もある公立高校だったが、実質何も勉強せずに受験してしまった。それまで何とかやり過ごしてきた人生で、初の挫折を味わうことになる。

しかし、ADHDの私にとっては、その「挫折」の意味が世間一般のそれとは異なる。

努力をしなければ合格しないことは当時の私だって重々承知していた。なので、3年次の夏休みには、自宅で勉強するために毎日毎日教科書とノートを開いた。周囲から「本当にお前にできるのか」と疑問視されながらも、塾にも通った。しかしどうしても集中できない。結局、私の脳は、どんな状況でもずーっとうわの空だった。

つまり、私には「努力する才能がなかった」のだ。

努力するには才能なんて必要ないと思われるかもしれない。私もずっとそう思っていた。そもそも「努力」という言葉と「才能」という言葉が対比して使われる場面も多い。

しかし、自身の思考を制御できないADHDの人にとっては、「苦労」はみな平等であったとしても、「努力」は才能の内に入ると認めざるを得ないのだ。ADHDの人なら、そのことを痛いほど理解しているだろう。

一方で、努力する才能を持つ人間が、いかに競争に強いのかを、今まで嫌というほど見せつけられてきた。

ついに「呪縛」から解放

 志望校の受験には失敗したものの、私は滑り止めで受験した高校へ「特待生」として進学した。なので授業料は全額免除された。私立校だったので、入試問題が公立校のそれと異なり、かなりクセがあったように記憶している。そのせいもあってか、どうやら進学した受験生の中で一番成績がよかったらしい(これは自慢だ)。入学式では新入生代表の挨拶文を読まされた。

私の進学した高校は生徒数の多い学校で、運動競技での推薦で入学した生徒が集まる「スポーツコース」、大学進学を目的とする「お勉強コース」、その他一般の生徒が集まる「一般コース」(全て通称)に分かれていた。私はそのうち「お勉強コース」の生徒として進学することになる。

所属するクラスには、私が志望していたのと同じ公立校の受験に失敗した仲間が何人かいた。そうした縁もあり、中々面白い高校生活だった。

そして、「お勉強コース」ということもあり、やることは本当に勉強だけだった。文化祭や体育祭など、学校行事の企画・運営は教員と他コースの生徒が請け負い、私は一切関わらずに済んだ。そして部活動にも参加しなかった。

したがってようやく、リーダーの呪縛から解き放たれたのだった。ある意味高校デビューだ。

とにかく勉強漬けのカリキュラムだったので、私にとって苦痛だったのは間違いない。

しかし、授業に集中していなくても、静かにしていればキレられることはまずなかった。基本的に「板書は時間の無駄」という方針の先生が多く、配布されたプリントで授業が進むことがほとんどだったので、苦手だった板書の書き写しに苦しむこともなかった。というより、そもそも私はノートを持っていなかった(持っててもどうせ失くす)。基本的にすべて「自己責任」という風潮だったので、そんな感じでもなんとなく許されていたのだ。

こうした「緩い」環境のおかげで、高校生時代は本当に気が楽だった。仲のいい友達と馬鹿をやって1日が終わる。今までの人生で一番楽しかった時間かもしれない。

相変わらず目の前の現実に専念することはできず、勉強も私にはハードだった。しかしそれまでのリーダーの呪縛から比べると屁みたいなものだ。

そして身体的な異常も、その時には消えていた。

遅刻の常習犯

 特待生資格を維持するためには、一定の出欠評定や成績を収め続ける必要があった。定期テストなどの成績が悪くなると、特待生資格が剥奪される仕組みだったのだ。

しかし、それも私にとっては余裕のあるノルマだった。定期テストは私のお家芸である。テスト直前にちょこっとプリントを見直すだけで、高得点を維持できた。

しかし、唯一危なかったものがある。遅刻の回数だ。

実は私は、幼いのころから決まった時間に就寝することができない

結構疲れているはずなのに、丑三つ時になっても目がらんらんとしていることもある。逆に、大して疲れていないはずなのに、何となく心地よくなると夕食前に眠ってしまうこともある。

おまけに、必要な睡眠時間にもばらつきがある。20時間くらい眠り続けるときもあれば、2~3時間程度でしゃきっと目が覚めるときもある。中学、高校と成長するにつれ、その傾向は顕著になっていった。

そのせいで、基本的に朝決まった時間に起きることができない。半分寝ながら強引に起床したり、逆に無駄に早く起きてテンションが高くなる時もある。そして時折、爆音のスヌーズ機能付き目覚ましに勝ち続けてしまうこともあった。

こうしたよくわからない不規則な睡眠であったため、私は遅刻の常習犯だった。遅刻の回数は、毎学期、特待生資格剥奪のボーダーぎりぎりだった。何とかボーダーは越えずに済んだが・・・。

こうした経験は、もしかすると私の特殊な事例かもしれない(つまりただのダメ人間か?)。

ただ、ADHDの特徴の一つに「時間感覚の異常性」というものがある。私も計画的に時間配分を考えたり、計画した時間通りに行動したりするのが苦手だ。私は、この時間感覚の狂いと、不規則な睡眠との間には何らかの関連があるように思う。

よく「体内時計」と言われるように、通常、人間はある程度の時間感覚を備えていて、それに基づいて眠くなったり、目が覚めたり、あるいは活発になったりしているらしい。しかし、私の感覚からすると、自分の体内に時計が存在していた記憶はない。体内時計ではなく、それらは制御できない思考に基づいている

起きていても、思考が落ち着けば眠くなり、眠っていても、思考が活発になれば目が覚める。逆に、眠いから思考が落ち着くとか、目が覚めたから思考が活発になるという感覚はない。眠くなるのは常に、思考が「何かにたまたま専念できた時」だけだ。

なので、体内時計は「無い」に等しい。生活リズムなんてものも無い。

このように、体内時計を基準とした時間感覚ではないため、時間の進み具合を大まかに感じ取ることや、どれくらいがおよそ何時間・何分なのかといった予測もできない。結果、時間通りに行動することが難しくなるのではないかと思う。

なので、時計がない部屋にいると、不安で不安で仕方がない。仕事中はかなり頻繁に時計を見ている。目に入った「実物の時間」だけが頼りなのだ。

大学受験

 高校3年になると、周りの友達も、大学入試に向け受験勉強を本格化させる。私の高校のお勉強コースでは、毎年夏休みに、避暑地で「勉強合宿」をするというカリキュラムが存在していた。高校3年の夏は、それまでとは異なり、皆真剣な面持ちで合宿に参加していた。丸一日、朝から晩まで授業を受けた後、さらにみんなで夜食を食べながら自主学習までしていた。

そんな時でも、私は毎度の如くうわの空だった。夜の自主学習も、皆がもくもくと勉強をする中、私はもぐもぐと夜食のわかめご飯を食べ続けた。塩味が絶妙ですごくおいしかった。

そんな調子だったので、私はまたしても受験に失敗する。しかし今度の失敗は志望校に落ちたというだけではない。なんと、滑り止めで滑り止まらなかったのだ。さすがにこれはやばいと思われたのか、高校の先生が助け舟を出してくれた。

あまり知られていないのだが、実は大学には「後期試験」というのが存在する。時期的には3月の上旬、大体、高校の卒業式の直後ぐらいの時期に実施される。要はもう後がない人のための試験だ。

私も後がなかったので、赤本と先生のアドバイスを頼りに、絶対に受かりそうな安牌の大学を選び、後期試験に臨んだ。元々どこそこの大学へ行きたいという願望は強くなかったので、その時点では、もうどこでもよかった。

試験には合格できたものの、結果として私は、クラスの中で、最も偏差値の低い進学先を選ぶことになってしまった。

つまり、最も良い成績で入学したはずの人間が、特待生として授業料まで免除され続けたにもかかわらず、最終的に最も偏差値の低い大学へ進学したのだ。

おそらく私は母校から恨まれているだろう。しかし、こうしたことが起こりうるのも、ADHDならではのことなのかもしれない。

ごみ屋敷生活

 進学した大学は実家から距離があったため、私はアパートを借りて生活することになる。

「一人暮らし」の始まりだ。

大学の講義は、単位取得に必要な回数しか出席せず、家賃も生活費も親の仕送りで賄っていたので、バイトもしなかった。経済的な理由で大学へ進学できない人がいることを考えれば、私は本当に恵まれていると思う。

その結果、私は有り余る時間を手にすることになる。何にも束縛されない、超自由な時間。そんな自由を手に入れた私は、自らの本来の姿を見せつけられることになる。

一人暮らしともなれば、当たり前だが衣食住の管理は全て自分でしなければならない。炊事、洗濯、部屋の掃除、整理整頓・・・。

しかし、ADHDの私にそんなことはできない。結果、私の部屋は一瞬でごみ屋敷と化す

テレビで、片づけができないタレントの部屋を紹介する番組を目にする機会があるかと思う。私もそういった番組を見たことはあるが、正直言ってあんなレベルではない

まず、基本的に散乱しているのは「物」というより「ごみ」だ。新聞屋の押し売りに負け、大量の生活用品をもらえる代わりに契約してしまったのが原因で、新聞紙が散乱していた。また、自炊はしないので、毎日コンビニ弁当で済ませていた。飲み物は近くの自販機で衝動買いし、まだ飲み終えてないジュースもあるのに次々と開けていた。部屋は主にそれらのごみで足の踏み場もないほどに埋め尽くされていた。あとは洗っていない服くらいか。

ただ、問題はそれだけではない。

物を紛失することが多かったので、年がら年中、そのごみの山をひっくり返しては失くしものを探していた。その結果、テレビでよく見るような物で埋め尽くされた部屋を、さらに空き巣が侵入して荒らしていったかのような様相だった。

また、掃除することがなかったので、水回りは全てカビまみれだった。特に、風呂場はもともと何色だったのかわからないような状態になっていた。そして浴槽も掃除することがほとんどなかったので、汚い話だが、私の体の垢で黒ずんでいた。

弁当のごみや、飲み残しの缶が散乱していたので、それにこびりついた栄養源を餌にゴキブリが大量繁殖していた。なのでゴキブリとの共同生活だった。ただ、ごみまみれで湿度が高くなりがちなせいか、ゴキブリ以外の生物も繁殖することがあった。ムカデだ。

ゴキブリと異なり、危害を加えられる可能性があるので、勇気と根性を振り絞り、発見する度駆除していた。なので私はムカデ駆除が得意である。

トイレは・・・この話はやめておこう。

THE 不潔人間

 大学時代は誰とも交流がなかった。友達と呼べるほどの仲間もいなかったし、もちろん恋人もいない。遊びに出かけるとしてもそれは高校時代の友達だった。

こういう話をすると、何か寂しい学生生活のように聞こえるかもしれないが、精神的にはものすごく安定していた。今までにないほど、私なりの自由を謳歌し、満喫していた。生活リズムもなく、四六時中うわの空の私にとっては、むしろそれがノーマルな状態だったのだ。

主に何をしていたかというと、特に意味もなくインターネットを閲覧していた。とりわけニコニコ動画やYoutubeはずっとアクセス中だったと思う。調子に乗って簡単な動画を制作し、投稿したりもした。

食事は1日に1食程度だった。お金がないわけでも、お腹が空かなかったわけでもない。むしろ常に腹ペコだった。しかし、うわの空に邪魔されて、なんやかんやで食料調達へ出かける回数が限られたのだ。そのせいで、元々細かった私はさらにやせ細り、日に当たらない白々とした肌のせいもあって、本当に手足がもやしみたいだった。

生活リズムもぐちゃぐちゃだった。不安定で不規則な睡眠のせいもあり、目覚めて薄暗い外の景色を見た時に、本気で早朝か夕方かわからないことが多々あった。

長期休暇に入ると、人と会う必要がないので、私自身も汚かった。風呂には夏場でも1~2週間に1度くらいしか入らない。なので手足の爪の間に垢がびっしり詰まっていた。それをふざけて写真に撮り、友達にメールしたら、こっちがびっくりするぐらい引かれた。

体が汗でべとべとし、風呂に入ろうと思っても、自由とうわの空の日常の中では、なんやかんやで気づくと就寝している。歯も、口の中がねばねばして耐えられなくなった時にだけ磨いていた。というより、そうならないと磨いていないことに気が付かなかった。

ちなみに、よくネットでは「ADHDの人は汚くても気にしない」という解説を目にする。しかしそれは違う。私からしてみれば、うわの空状態で身の回りのことがままならないので、もう諦めているだけだ。私だって本当は清潔でいたい。きれいな部屋で過ごしたいし、ゴキブリだって大嫌いだ。でもその状態を維持するのは、私にとっては大変なことなのだ。

それでも人と会う時や出かけるときは、何とか清潔を保とうと必死になる。その苦労は一般の人には理解できないだろう。だからこそ、引きこもりがちになってしまうのかもしれない。

大学生の私は、ガリガリで、髪は伸び放題の上にボサボサ、ヒゲも長く、自分でも臭かった。

その姿を鏡で見るたび、自分が普通ではないとの考えを強めていった。実は高校時代も、自分がADHDなのではないかとの疑いを持っていたのだが、このころになってようやく、私は自身の障害の存在を確信したのだ。

ところが、それを私は軽視していた。あまり深刻に考えず、楽観的だった。多少のハンデはあったとしても、何とかなるだろうと考えていた。実際、それまでも何とかなっていた。

しかし、その考えが甘かった。

次回は、社会人になって以降の経験談を述べたいと思う。

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